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聖歌は生歌

聖歌は生歌

答唱詩編(季節と祝祭日)

ここでは、たくさんある答唱詩編の中から、ミサの式次第および典礼季節に関係の深いものを見てゆきます。
各、主日、祝祭日の答唱詩編については、『今日の聖歌』で解説して行きますので、『今日の聖歌』をクリックして
「答唱詩編」のカテゴリーの中から、必要なものを選択してください。

 【答唱詩編の基礎】
 ですが、その前に、答唱詩編の基本についておさらいしておきましょう。
 答唱詩編は、ことばの典礼の中にある聖書朗読の一つで、詩編による黙想です。「答唱句は、第一朗読に対する
答えと同時に、詩編本文への答えでもあり、詩編の先唱者を除く全員で唱和します。「詩編」本文は、聖書朗読です
から、通常一人の先唱者が朗読台から先唱しますが、一同の黙想にふさわしく歌う(朗唱)する必要があります。詩
編の本文も一同で歌うとよいように思われますが、聖書朗読にならにばかりか歌い疲れてしまいますし、何よりも、
一同の黙想になりません。詩編の本文は、聴いて祈ることにも心がけましょう。ちなみに、答唱詩編には、

1=全員で詩編を通して朗唱する、単唱形式
2=答唱句を全員で歌い、詩編本文は先唱者が歌う、答唱形式

の二つがありますが、日本の答唱詩編はすべて、2の答唱形式で作られており、単唱形式で歌うようには作
られてはいません。

 次に、詩編唱の先唱について、です。
 先にも書いたように、詩編唱の部分は、原則として先唱者がひとり(ソロ)で歌唱します。
 詩編唱は、息継ぎ「,」があり、途中で息継ぎをする場合、-たとえば 97「このパンを食べ」の1小節目-、を
除き、「教会の祈り」の唱和と同じように、すべて八分音符で歌ってゆきます。小節の最後は四分音符で、次に、八
分休符が入ります。ですから、詩編唱の部分は、回心の祈りや主の祈りと同様に、すべて八分音符で記すと、リズ
ムも正確に表すことができるのですが、そうすると、楽譜が膨大な量になってしまします。そこで、八分音符が連続し
ているところは全音符で表記し、音の変わるところや、最後の音は、ふさわしい長さの音で表記してあるのです。とき
どき、「神よ」といった呼びかけの後や字間の空いているところで切って歌うのを聞きますがこれは「やってはいけな
いこと」です。字間が空いているのは、楽譜を作る上での技術的な制約から来る限界であり、そこで切ったり、必ず
息継ぎをするといった意図はまったくありません。半角空いているのは、読みやすくするためなのです。
 小節内で、音が変わる場合の歌い方ですが、この場合も、音が変わる前で延ばしたり、間を空けたりすることもあり
ません。この場合も、八分音符が連続していますから、滑らかに、続けてゆきます。
 12「アレルヤ」や144「谷川の水を求めて」などにありますが、終止の四分音符の前で、音が変わり、八分音
符の連続や、四分音符をなっている場合、そこの部分をどのように歌うかですが、音符の下に「ー」がある場合を除い
て、基本的に八分音符で歌います。たとえば、144「谷川の水を求めて」1節の1小節目の、「わたしの心はあなた
を求め」は、最後の「め」以外、すべて八分音符となります。ここを、「もとーめ」と歌うことはしません。 
 次に、「わたしはあなた」「あなたにいのり」のように、同じ母音が連続する場合、「わたしはーなたに」「あなたにー
のり」のようにならないように、母音をはっきり言い直しましょう。ただし、やりすぎて、「わたしはっあなたに」のように
もならないように、中庸の徳が大切です。
 なお、歌詞が長い場合の息継ぎの個別の例や、その他、特殊なもの、個別に指摘する必要のあるものは、『今日
の聖歌』でそのつど記述してゆきます。

 もうひとつ、詩編先唱のオルガンですが、よく、先唱者が歌い始める前に、オルガンが、八分音符1拍ないし2拍早
く入るのを聞きますが、これも「絶対やってはいけないこと」です。伴奏譜と会衆用のどこを見ても、休符は入って
いません。オルガンが早く入る場合は、342「復活賛歌」の「*このよる」や、331「十字架賛歌」の「*わたし
は」のように、必ず休符が入ります。詩編唱の最初には休符が入っていませんから、オルガン伴奏と詩編の先唱者
は、一緒に詩編唱を始めましょう。これは、詩編唱のすべての小節に共通します。どの小節の最初も、オルガンと詩
編の先唱が一緒に始まるほうが、はるかに祈りに品があり、祈りの深さも高さも豊かなことは、間違いがありませ
ん。

56「神の み旨を行うことは」の詩編唱を例にして正しい祈り方を見てみます。

 ↓オルガンと詩編唱は一緒に入る     ↓オルガンと詩編唱は一緒に入る
 かみよあなたはわたしの すべてー*|  あなたのことばをわたしは まもるー*|
   ↑「よー」と延ばさない    ↑楽譜は間が空いているが「わたしの(は)ー」と歌わない↑
  ↓オルガンと詩編唱は一緒に入る  ↓オルガンと詩編唱は一緒に入る
  わたしはこころをこめていのるー*|おおせのとおりいつくしみをしめしてくださーぃ*|
                                      ↑「さいー」となら煮ように「さ」を延ばした後に「い」を軽くつけるように歌う                 


 【式次第と関係の深い曲】
 17-18「いのちあるすべてのものに」と123「主はわれらの牧者」の二曲を見比べてみてください。一目見て、ど
ちらも1♭:F-Dur(ヘ長調)であることがわかります。その他に、気がつくことはないでしょうか。今度は詩編唱の部分
を見比べてみてください。どうですか?旋律の音も伴奏も同じなのです。どちらも答唱句の主題は、「主がわたしたち
を導き、養ってくださる」というもので、それによって、詩編唱が統一されているのです。
 「主はわれらの牧者」の答唱句の旋律で使われている音は、D(レ)-F(ファ)-G(ソ)-A(ラ)-c(ド)で、これは
ミサの式次第で使われている音と同じです。「いのちあるすべてのものに」では、これ以外に「司祭の音」(B)が用い
られていますが、やはり式次第の音で構成されています。このように、ミサの主題と同じテーマを持つ二つの答唱詩
編が、答唱句の旋律の特徴も、詩編唱の構成も共通していのは、単なる偶然ではないでしょう。
 次に、136「すべての王は」の詩編唱を見てください。こちらは調号が1♯なので気がつきにくいですが、1♭:F-
Dur(ヘ長調)に移調してみると、前の二曲と同じことがわかります。これも、詩編本来の主題は、「神が王としてイス
ラエル(神の民)を治めてくださる」、というもので、前の二曲と類似しています。
 ここまで、似た主題の答唱詩編の詩編唱が統一されているのは、決して偶然ではありません。
 なお、136「すべての王は」の答唱句は、特に、ミサの式次第と統一がはかられているものではありません。

 【典礼季節の祭日と関係の深い曲】
 次に見てみるのは、主の昇天に歌われる112「主はのぼられた」と69「神よあなたのいぶきを」の二曲です。
一目、見比べてわかるのは、旋律が、「主はのぼられた」は上行、「神よあなたのいぶきを」は下降していて、主がの
ぼられた様子と、聖霊が下ってくる様子が暗示されていることです。しかし、この二曲の神学はそればかりではあり
ません。
 「主はのぼられた」の旋律は、D(レ)から始まりますが、これは、式次第の低い音で、地を暗示しています。最後の
音、H(シ)は、式次第では用いられない音で、天上の神の国を示唆します。一方、冒頭、「主は」で一端、低いH
(シ)へ旋律は下がりますが、これは、高いH(シ)の、天上の神の国と対照的に、主が下られた、陰府を暗示します。
この世から死の国に下られた主は、復活して、天の国に昇られたさまが、旋律で表されていないでしょうか。
 続いて、答唱句を比べてみます。「神よあなたのいぶきを」は、B(シ♭)から始まります。この音は「司祭の音」、
「奉仕者の音」と言い換えることができます。聖霊の発出は、父と子がわたしたちのために約束してくださった、いわ
ば、神による奉仕です。答唱句の最初の音がB(シ♭)からはじまるのは、これを表しているのでしょう。答唱句の最
後は、「主はのぼられた」の始めの音と同じD(レ)で、主がのぼられた地の表に、聖霊が下ってきた様子が、暗示さ
れています。
 今度は、それぞれの詩編唱を見てみましょう。
 「主はのぼられた」の詩編唱は、A(ラ)-G(ソ)-E(ミ)-D(レ)と、♯のついたFis(ファ♯)を飛ばしてD(レ)まで
降りてきます。まるで、主がのぼられたオリーブ山から、弟子たちが、エルサレムに下りて行くようです。
 「神よあなたのいぶきを」の詩編唱は、ドミナント(属音)のA(ラ)を中心に上下に動き、聖霊が、地の表に漂ってい
るように思われます。
 このように、この二つの答唱詩編は、ただ、旋律の上下の関係けではなく、全体の構造がそれぞれの祭日にふさ
わしい音で、また、相互に関連しつつ、ミサの式次第と結び付けられているのです。

【答唱句の種類】
 答唱詩編は、同じ答唱句でいくつかの詩編が歌われるものもあり、必ずしも、一つの答唱句で一つの詩編が歌わ
れるわけではありません。一つの答唱句でいくつかの詩編が歌われるものは、その中の一つから答唱句がとられて
いる場合があります。しかし、答唱詩編の答唱句が、すべて、歌われる詩編から取られているわけではありません。
 詩編の一節から答唱句が取られていないものも含めて、答唱詩編の答唱句は主に、次のように類別されます。
1 歌われる詩編の一節から取られているもの 
 例:100~103「しあわせな人(2)」(103の詩編128:1から)
2 歌われる詩編のテーマなどを敷衍しているもの
 例:17~18「いのちあるすべてのものに」(18の詩編145から)
3 主に歌われる典礼季節に従って作られているもの
 例:137~138「すべての人の救いを」(待降節の主題から)
4 その祝日などの主題によるもの
 例:97「このパンを食べ」
5 その他の聖書の箇所によるもの
 例:97「このパンを食べ」
 この中で、1~4はどのような根拠によっているかといいますと、1969年に「典礼憲章実施評議会」から出された
『典礼文の翻訳に関する指針』には、「36 c) 答唱(versiculum, responsoria)と交唱は、たとえ聖書からとられたもの
であっても、典礼の一部分となって、新しい文学形態に属することになる。したがって翻訳に際して、本文の意味を完
全に保ちながらも、もっと歌唱に適した形になおし、また典礼季節や特別な祝日に調和した形にすることができる。原
典を多少適応させたこのような適応の例は古代の答唱の中に数多く見いだされる。 d) 答唱や詩編の内容が特別な
困難を産み出す場合には、司教協議会は典礼の祭儀執行と典礼季節または祝日の要請をみたす他の句を選定す
ることができる。」とありますから、答唱詩編の答唱句の類別の2~4はこの指針を元に作られているのです。
 ただ、現在の答唱句だけでは、その答唱句が季節になじまない場合もあるので(たとえば136「すべての王は」の
詩編72が四旬節などで歌われる場合)、他の答唱句に当てはめるなどの工夫ができると良いと思いますが、また、
著作権の問題もあり、複雑なところです。
≪参考文献≫
『典礼文の翻訳に関する指針』(編集:典礼憲章実施評議会、発行:典礼委員会秘書局、1969年3月12日発行)

【答唱詩編個別の解説】
 各、答唱詩編については、下記のバナーをクリックしてください。バナーの下に各ページに書かれているものが、
『典礼聖歌』にある答唱句の表題です。ここでは、共通する「解説」と「祈りの注意」、「オルガンのストップのアドバイ
ス」などを記述しています。なお、ここでの「オルガン」はパイプオルガンを基準に、場合によっては、ハルモニウム(リ
ードオルガン)も含めますが、電気式のパイプオルガンをモデルにしたものについては、記述していません。これにつ
いては、パイプオルガンから敷衍してください。各、答唱詩編、個別の解説(例:年間第2主日B年)については、下
のリンク先をクリックしてご覧ください。なお、下記にないもので、過去三年間のものは、『今日の聖歌』をごらんくださ
い。


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